2009年7月8日水曜日

地獄を天国に変える技

こんにちは

同じ職場、同じ仕事をしていても、そこを楽しんでいる人とつまらなそうにしている人がいますよね。
楽しいはずの家庭で、仏頂面して嫁さんや子どもからわざわざ嫌われるようなことをするお父さんもいます。
一方で家庭でもニコニコして楽しく家族と接しているお父さんだっています。
この差は何なのでしょうか。

仏教の説教の中にこんな話があるそうです。

ある若い修行僧が、「地獄とはどういうところですか?」と老師に尋ねた。
老師曰く、

 地獄とは、
  直径1mの大きな鍋の中に、美味いうどんが煮えているところだ。
  それを食べるには、1mほどの箸ですくって食べるしかない。
  地獄の住人は、我先にこのうどんを食おうとして、箸を奪い合う。
  つかみ合い、殴り合いをする。
  1mの長い箸でうどんを自分の口に運ぼうとする。
  するとうどんは飛び散り、やけどをして誰もこの美味いうどんが食えない。
  果てしなくいがみあい、殴りあう。
 これが地獄だ

続けて若い僧が尋ねます。「では極楽とは?」

 同じく大きな鍋の中に美味いうどんが煮えている。
 1mの長い箸があるのも同じだ。
 ところが、
  ある人がうどんをすくって、鍋の向こうにいる人に「どうぞ先に召し上がってください」と
  差し出す。
  鍋の向こうにいる人は美味いうどんをたっぷりと食べられる。
  すると釜の向こうにいる人は、「どうもご馳走様でした。今度はあなたがお召し上がりください」と
  長い箸を受け取って、うどんをすくって差し出してくれる。
  そうやってみんなが美味いうどんをたらふく食べ、ほがらかに、微笑みながら暮らしている。
 これが極楽だ

ナルホドー。
大きな鍋の中の美味いうどんというのは、現実社会のことでしょう。
現実は極楽だろうと地獄だろうと同じなんです。
そこを極楽に変えるか地獄にしてしまうかは、そこにいる人の心の持ちよう、行動の仕方で決まってしまうんですね。

職場でも、自分だけが利益を得ようとばかりすれば、誰も味方してくれないのは当然です。
同僚は皆競争相手、敵になってしまい、食うか食われるかの関係になってしまう。
それでは美味いうどんは食えないんですよ、誰も。

家庭でも自分だけが楽しようとして威張ってばかりいれば、家族の心は離れていくのは当然です。
仕事で疲れているんだから家では勝手にさせろ、というお父さんは、自ら家庭を地獄に変えてしまっているんです。

そうじゃない。
職場で困っている人がいたら、自分の余裕の範囲でいいからちょっと手伝う。
アドバイスだけでもいい。
そういうことを続けていれば、自分が困っているときに必ず助けてくれる人が現れるわけです。
同僚たちは敵ではなく味方になって、本当の協力関係を築いていくことができる。
そうすれば職場は極楽に変わっていきます。

家庭でも疲れているとしてもちょっと家族のために何かやる。
そうすれば「疲れているのにお父さん、がんばってくれるじゃない」と家族は思う。
すると「お父さんは疲れているんだから、ゆっくりしていていいよ」と言ってくれたりする。
そう言われるとお父さんも嬉しくなって「なになに、このくらいは平気さー」なんて言ったりして、がんばっちゃったりするわけですよ。
そうすれば家庭は極楽に変わっていきます。

極楽でも地獄でも客観的な現実は同じなんです。
それを極楽にしていくか地獄にするかは、そこにいる「人」なんです。
そしてそれは「やり方」「技術」なんだと思うのです。


大鍋の美味いうどんの話は、市川善彦『我謳!!』長崎出版\1600-(155-156p)に書いてありました。

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