こんにちは
我が社でも業績評価制度が始まって数年になります。
年功序列ではなく、よい業績をあげた人を評価し、報酬にも反映させる。
そのために、年度当初に目標管理表を書くことになっています。
本人が部課の目標に合わせて今年度に目標とすることを書き出します。
自ら目標を立てるのは、モチベーションを上げ、それを維持するのに役立ちます。
上司から与えられるだけの目標では、積極性が出にくいですから。
で、個々人が書き上げたものを上司と面談して確定するわけです。
時々、部下の書いた目標を修正したり、削除したりする上司もいるようです。
修正したり、削除したりすることが上司の仕事だと思っている。
これはとても損なことです。
当然ながら本人が書いたものを修正したら、それは本人独自の目標ではなくなってしまいます。
上司から与えられた目標の度合いが強くなってしまう。
消極的になってしまうのは必然です。
削除してしまったらもちろんのこと、誰もがやる気を削がれてしまうのは当然。
ましてや修正するのが「テニヲハ」だけだったりしたら、部下にバカにされちゃいますよ。
もちろん、部課の目標から大きく外れている場合や、社の利益、公共性に反する目標の場合はいけませんよ。
そういう場合は、修正や一部分の削除ではなく、理由を説明した上ですべて破棄すべきです。
破棄した上で、再度部下に考えさせ、書き直させる方がよい。
ここで重要なのは、部課の目標から大きく外れている場合は破棄した方がよいけど、ちょびっと外れているように思えるときはそのままの方がいい。
それは部課の枠をちょっと超えている可能性があるからです。
仕事って、枠を超えた部分にお宝が埋まっているものだからです。
部下にはそのお宝が見えているのかもしれないんです。
こういうのまで破棄したり削除したり修正したりしたら、お宝を逃すことになっちゃいますよ。
部下の書き上げた目標を、なぜ上司は面談して話し合う必要があるのか。
決してそれは、部下の目標を修正したり削除したりすることではありません。
むしろ、一つ二つその部下にやってもらいたいことを追加してやる。
これをやれば部署の価値も上がるし、部下の能力も上がるというものを見つけて、それを部下に提示すること。
それこそが上司の役目なんだと思います。
内田樹『街場の教育論』ミシマ社¥1600-にこうありました。
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ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。
「自分で設定した限界」を超えるのです。
「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発言を阻んでいるもののことではありません。
そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。
「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価は謙遜しているように見えて、実は自分の「自己評価の客観性」をずいぶん高くに設定しています。
自分の自分を見る眼は、他人が自分を見る眼よりずっと正確である、と。
そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と言い張ります。
でも、いったい何を根拠に「私の自己評価の方があなたからの外部評価よりも厳正である」と言えるのか。
これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません。
それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、いっそう悪質なものになりかねません。
ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。
それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。
「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。(155-156p)
ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。
「自分で設定した限界」を超えるのです。
「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発言を阻んでいるもののことではありません。
そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。
「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価は謙遜しているように見えて、実は自分の「自己評価の客観性」をずいぶん高くに設定しています。
自分の自分を見る眼は、他人が自分を見る眼よりずっと正確である、と。
そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と言い張ります。
でも、いったい何を根拠に「私の自己評価の方があなたからの外部評価よりも厳正である」と言えるのか。
これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません。
それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、いっそう悪質なものになりかねません。
ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。
それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。
「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。(155-156p)
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自ら立てる目標は、自分が思う「限界」に基づいて書くものです。
でも、自分が思う限界が本当に自分の限界かどうかは分からないものです。
むしろ「岡目八目」で他人の方が分かっていたりする。
そこを上司は見つけてやらなくちゃいけない。
誰にでも経験があるでしょう。
上司から無理難題を与えられ、とても無理、できない、と思いつつも取り組んだことが。
大変な努力は必要だったかもしれませんが、そういう仕事、たいてい出来ちゃうんですよね。
そして出来上がったときに、とてもいい気分になれる。
自分の能力が存分に発揮でき、すがすがしくもあるんです。
こういう仕事って、自らは絶対にやりませんよ。
他人から押しつけられたからやり通すことが出来るんです。
そしてたぶん、上司には「アイツならやり遂げられるはずだ」というのが見えていたんです。
期待があるから指示もされるんです。
人はちょっぴり背伸びするから成長するものなのです。
このことは仕事だけじゃなく、家庭や学校でも応用可能ですね。
すべての目標を子どもに押しつけてはいけないのは当然ですが、全部子ども任せでもいけないんです。
背伸びさせるのも親や教師の役目なんです。
子どもにがんばってほしいこと、それは一定の努力をすれば必ずできそうなことを、一つ二つ与える。
それができるのが、いい親であり、いい教師なんだと思います。
逆もまた真であったりします。
子どものワガママに見える行動の中に、お宝がある。
自分には見えないものが、子どもには見えている。
子どもに不承不承につきあっていたら、意外や面白く、親自身のブレークスルーにつながったなんてことだって、ままあることなんです。
これは部下に対しても同じですね。
ブレークスルーは他者からやってくる。
これは真実なんだと思います。
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