2009年7月19日日曜日

遊びこそ要

こんにちは

はっちゃんも夏休みに入って、まー、ヒマをもてあますわけです。
子どもにはヒマでボーッとする時間も必要ですが、一生懸命遊ぶ時間も必要。
なので近所の児童館へ連れて行ったりします。
児童館はいいですよー。
なんてったって、タダ!
タダだから、「遊んでくれる」ものなんかない。
遊園地の乗り物みたいなね。
自ら行動して、身体を動かして遊ぶものばかり。
そこがいい。

遊園地の乗り物みたいなのは、消極的、受動的な遊びです。
パッシブアミューズメントです。
受動的だから「もっともっと」になるんです。
もっともっとと他人に求めるだけの快楽。
自ら創り出した喜びじゃないので、永遠に満足することがない。
子どもをもっともっとと乗り物に乗せて、親からお金を取るのが遊園地のねらい。

それに対して自ら身体を動かしての遊びは、積極的な遊び、アクティブアミューズメントです。
他人に求めるのではなく、自らが創り出す快楽です。
だからやり遂げたとき、深い満足感を味わえる。
それが本来の遊びだと思うんですよ。
それにアクティブアミューズメントである遊びは、結局のところ脳を鍛え、知能を育てるものです。

糸山泰造『子育てと教育の大原則』エクスナレッジ¥1400-にこうありました。

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どうして「自主的な遊び」が大事なのかご存じですか?
最も効果的な学力養成・思考力養成になるからです。
「自主的な遊び」は、「感情=これでいい」と、「判断=こうしよう」と、「結果=あれ、違うぞ」「思った通り」の繰り返しです。
自分で予測したことをやって、その結果を自分の考えに反映させることの繰り返しです。
バイオフィードバックとマッチング(体感と予測イメージのすり合わせ)による高度な進化過程の体現です。
判断力とは「不安や違和感がない状態で結論を実行に移す確信の感情」のことです。
ですから、自主的な遊びは安定した感情も養成するのです。
自主的な遊びの中には子供自身が自分で予測したことを実践し、修正・加工して何回も豊富なイメージ操作(思考)をするように工夫する仕組みが入っているのです。
人間は人間になるために遊びを十分に経験する必要があるのです。
遊びを犠牲にしてまですべき宿題などありません。(164p)
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前便にも書いたように、努力するとは「考える」ことなんです。
努力とはただ闇雲にがんばるのではなく、考え、予想し、それを実行する過程なんです。
それで上手くいったり、失敗したりするでしょう。
結果を自分にフィードバックして、また考える。
考え、予想し、実行することを繰り返すことが、努力の正しいやり方なんですね。

アクティブアミューズメントである遊びには、その萌芽があるんです。
楽しくなるために、あれこれと考え、予想し、実行に移してみる。
それで楽しくできるか、できないか。
危険があるか、ないか。
結果をフィードバックして、また新たな遊びを考え出す。
楽しみながら自然と努力の方法論が身に付くわけです。

なので、児童館に行ってもぼくはよほど危ないことや、とんでもない悪いいたずらをやらないかぎり、ただ眺めているだけなんです。
一緒に遊んだりもしません。ぼくは中年だから一緒に遊ぶと疲れるしね。
時々、上手くできたり、おもしろいことをやっていたら「わー、すごいねー」って言うくらい。

10才くらいまでは、そうやって育てていきたいなと思っています。
え?10才過ぎたら?
それぞれが勝手にやるでしょー。
それが我が家の理想なんです!

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