2009年5月2日土曜日

善意の強制

こんにちは

ぼくの尊敬する小学校教師野口芳宏さんは言います。

 教育とは強制である

教育とは、放っておいたら絶対身に着かないことを強制的にでも子どもに身に着けさせることだ、というのです。
ただし、どうでもいいくだらないことは押しつけてはいけない。
本当に子どもの将来に益するものだけを教える。
それを野口さんは「善意の強制」と言います。
だから、子どもの好みに任せた教育、子どもが最初から喜ぶような教育は、本物の教育ではないと言うのです。

確かに勉強というものを最初から好きな子どもなんかめったにいません。
子どもの好き嫌いに任せていたら、子どもは勉強なんか絶対にやらないですよ。
最初から子どもが好きな勉強は、そもそも何もハードルのない安易なものなのです。
そもそも最初から子どもが好きなものだったら、わざわざ学校で教える必要なんかないんです。
好きなら勝手にやるからです。

学校は、始めは嫌々だったことでも、そのハードルを乗り越えさせ、「結果として」子どもが喜ぶことを教える場所だと思います。
それによって勉強が好きになる、多少苦しくても努力して自分が向上するのが嬉しくなる、学校はそういう子どもを育てる場所なんだと思うのです。

ですから、子どもが嫌がることはするべきじゃない、という言説は間違っていると思います。
嫌がることでも、それが子どもの将来に益することであり、乗り越えることが子どもの成長に役立つことなら、嫌がろうが何だろうが教える。
ただし、途中で放棄してはいけない。乗り越えるまで引っ張っていく、サポートを続ける。
努力して苦しさを乗り越えて、その結果自分がかしこくなったことを実感できるまで、やりとげる。
これが本物の教育だと思うのです。

さて、教育にはお金もかかります。
小学校から高校まで、一人年間100万円程度はかかってしまうのです。
公立学校ならほぼ全額が税金からまかなわれます。
私立でも4割くらいは税金から助成されています。
だから私立の授業料は年間60万円程度なんです。
私立に通う生徒だって「公民」として育てるために、社会がその教育費を負担するのは当然である、という考えなのです。

このように、教育費は税金でまかなわれています。
ところで、親の支払っている税額はどのくらいでしょうか。
普通のサラリーマンなら所得税、住民税合わせても年収の20%くらいだと思います。
小学生を持つ親世代、30代のサラリーマンの平均的な年収は500万円程度でしょうか。
すると税額は500万円×20%=100万円です。
学齢期の子どもが二人いるとすると、税金でまかなわれる教育費は200万円ですから、親が支払う税額を超えています。
もちろん消費税も支払っているので、もう少しは税負担していると思います。
でも支払った税金がすべて教育予算に回っているわけではありませんから、親が支払う税額よりもたくさん自分の子どもの教育のために税金が使われていることは確かです。
つまり、会社の法人税、学齢期の子どものいない人、独身者や子どものいない人や子育ての終わった世代の人びとの税金が、自分の子どもの教育のために使われているのです。

なぜ、納税者は自分の子どものためではなく、他人の子どもの教育のために税金を使うことを許容しているのでしょうか。
それは「外部経済効果」に期待しているからだ、と言えます。

他人の子どもでもよりよく教育を受けさせれば、それによって将来の社会が発展し、安定します。
その子が将来立派な人になり、スゴイ発明をしてくれたり、ビジネスで外貨を稼いでくれるかもしれません。
もちろん大多数の子どもはそれほど大活躍するようになるわけじゃいでしょうが、自分の食い扶持くらいはちゃんと自分で稼いで、社会に多少なりとも貢献してほしいわけです。
少なくとも、社会の側から保護が必要な人にはならないでほしい。
そうして将来の社会が発展すれば、その恩恵を自分の子どもや老後の自分が受けることができます。
これを、「外部経済効果」と言います。
だから、自分の支払った税金が他人の子どもの教育費に使われても、納得できるわけです。
回り回って自分のためにもなるからです。

小塩隆士『教育を経済学で考える』日本評論社\1800-から引用します。

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「放課後に『お残り』させてむりやり勉強させるなんて、人権無視だ」と言い出す親が最近ではいるそうだが、学校はそういう親から子どもを強制的に引き放さなければならない。
公教育は国民の税金で運営されている。
そして、納税者は、教育の外部経済効果に期待している。学校は納税者の期待を満足させなければならない。(219p)
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外部経済効果を考えても、教育は子どもの好き嫌いに合わせてはいけないことが分かります。
特に初等中等教育は、納税者の負託に応える義務があるのです。
教師は親と子どもだけ見ていてはいけません。
社会から負託を受けて仕事をしていることを忘れてはいけないのです。
また、親は自分の子どもなんだからどう育てようと勝手だろう、なんて考えてはいけないのです。
自らが支払っている税金よりもたくさんのお金が、我が子の教育のために税金から支払われているからです。
私立に通わせているから関係ないということもありません。
だって金銭的に4割は社会からの負託を受けているわけですから。
善意の強制は、社会の側からも教育に求められていることなんだと思います。
関口

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