2009年5月16日土曜日

負けてもいい

こんにちは

出張中のぼくに、晶ちゃんからメールが届きました。

 そうそう、杉坂先生が「昨日、溌貴君が教室で椅子取りゲームを
 したとき、回が進むにつれて緊張したようで、いつの間にか
 しょんぼりして教室から出て行ってしまったんです。もしかして
 溌貴君はゲームとかあまり好きじゃないんでしょうか?」ですって。
 「はい、あまり好きではないと思います」と答えましたが、
 たぶん、負けず嫌いだから、ゲームでも真剣になりすぎてしまって
 負けが見えてくるといやになってしまうんだと、私は思うのです。
 まっすぐで純粋な気持ちはいつまでも持ち続けてほしいのですが、
 倒れても負けない、何度でも起きあがれる力をつけてほしいです。
 今こそ、たくましく成長するチャンスかもしれません。
 なんだか、とても楽しみになってきました。

まー、椅子とりゲームなんかに勝つ必要もないとぼくは思っています。
ひとつの椅子をみんなで取り合うなんて、ちょっと下品な遊びだとも思います。
人を押しのけてまで自分が椅子を取るなんて、お上品なはっちゃんは耐えられなかったのでしょう。
って、考えすぎ??
あはははは。

安田佳生『下を向いて生きよう』さんマーク出版\1200-にこうありました。

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自分の幸せに関わっている部分では、努力をして階段を上っていくことは大切だが、自分の幸せに関わっていない部分では、負けてもいいというのが私の持論だ。
周りと比べて、すべてにおいて勝つ必要はない。
自分が幸せであるために必要なところで勝てば、人は十分に幸せになれるのだから。(62p)
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ぼくも同感ですし、ぼく自身そう生きているんです。
何でもかんでも努力したら、何でもかんでも勝とうとしたら、疲れちゃいますよ。
自分というリソースも有限なんです。
自分の資源を最大限活かそうと思ったら、がんばりどころと、手を抜くところ、適当でもいいところを色分けしなくちゃね。

大人はこういういい加減さが分かっているはずなんですが、つい子どもには「がんばれ、がんばれ」と言ってしまう。
子どもだって有限なのは変わりませんから、そうなんでもかんでもがんばれるわけじゃない。
でも親や先生にがんばれと言われると、がんばらざるを得なくなってしまう。
自分の意に沿わないこともがんばらなくちゃならないって、ちょっと不幸です。

そりゃあ子どもですから、何にがんばるべきかわからず、低きに流れてしまうこともあるでしょう。
そこいらは親や先生が見極める必要はあります。
でも時に、たまに負けたっていいんだよ、○○君に勝ちを譲ってあげてもいいんじゃない、なんて言うことも、親や教師には必要だって思っています。

もちろん負けっ放しではダメで、ここぞと言うときには勝つことも必要。
勝てる勝負は捨ててはいけない。
でも、時には負けるってことも、人間の幅を広くするものだと思っています。

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