2009年5月11日月曜日

よい自己チュー、悪い自己チュー

こんにちは

時々、こいつすげー自己チューだなー、って思う奴がいます。
自分のことばかり主張して、うっとうしい。
もうどっかへ行ってくれ!って思っちゃいます。

こういう自己チュー野郎をよく観察してみて、面白いことを発見しました。
奴は意外と「他人のことを気にしている」んです。
逆説的なんですが、こういううっとうしい自己チュー野郎はちても他人のことをすごく気にしている。
なぜなら、何でも他人にやらせよう、自分の思うとおりにやらせよう、としているからです。
実はこれがうっとうしさの原因なんです。

人は自分に被害が及ばないのなら、他人が何をやろうとあまり気にならないものです。
ところが自分の意に沿わないことを他人から強要されると、とても嫌。
自己チュー野郎は、こういう嫌なことをするんです。
それも自分のためにそれをやらせようとする。
自分のやるべきこと、自分でもできるようなことまで、誰かにやらせようとする。
だからうっとうしい。

うっとうしいから当然、誰もそいつの意のままになんかしません。
自己チュー野郎は、それで怒ったり、いらついたり、なげいたり、落ち込んだりしている。
「○○がちっともやってくれない」「△△は非協力的だ」。
上手くいかないのは他人のせいだ、と言うわけです。
あー、うっとうしい!

『徒然草』の中に、こんな段がありました。

  万のことは頼むべからず。
  おろかなる人は、深くものを頼む故に、恨み怒ることあり

何百年も昔から、自己チュー野郎はいるんですねー。
おろかです。
だって、他人に期待するって自分が勝手に期待しているわけじゃないですか。
他人がその期待に応えないからといって恨み怒る。
その恨み怒りは、自分でタネをまいているだけなわけです。
それで落胆したり、不安になったりしている。
それって不幸な生き方ですよね。
こういうのを世間一般では「被害妄想」と言うんです。

内田樹『こんな日本でよかったね』バジリコ¥1600-にこうありました。

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コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。(181p)
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世の中には、やっぱり自分の思うとおりのことをしているのに、さわやかな人もいますよ。
自分の思い通りにやっているという意味では、自己チューです。
でもこっちの自己チューは、ちっともうっとうしくない。
なぜなら、他人に期待していない。
自分のやりたいことのために、自分のやるべきこと、自分でできることを淡々とやっている。
当然、誰にも被害は及びません。
誰にも期待していないにも関わらず、案外いろんな人が手伝っている。一緒にやっている。
自己チュー君が面白そうなこと、自分や会社、社会にとってもいいことをしているなら、一緒にやりたくなるわけです。
自然と人が集まり、楽しくみんなでやることになるわけです。
そしてますます思い通りのことが実現していくのです。

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