2008年8月30日土曜日

枝葉末節だって大切だ

こんにちは

ぼくは仕事ではかなり細かい方です。
ずぼらにしている部分も多いのですが、技術的な話になると細かくなっちゃう。
座右の銘は「戦略は大胆に、戦術は細心に」ですからね。

ぼくと一緒に仕事をする人は、辟易してるかもしれませんね。
でも、細かなことまで詰めるということも悪くないことだと思っています。
後々の不具合が減ります。

細々としたことを「枝葉末節」と言って否定的に扱うことがあります。
もっと根幹を重視しろ、ということです。根っこの部分が大事だろう、というわけです。
ちょっと待ってください。
仕事を木にたとえているんでしょうが、それは生物学的には話が違いますよ。

木は根と幹だけじゃ生きていかれないんです。
確かに、根から水とわずかな栄養素を吸って、幹を通してそれを枝葉に送っています。
でも実際に木の生命活動は、葉の部分で行われているんです。
葉で光合成をする。小枝を伸ばして葉を増やす。
葉で作られた栄養で根を伸ばし、幹を太くし、さらに大きな木になる。
葉で作られた栄養で小枝に花を咲かせ、種を実らせます。
つまり木の主役は枝葉の方で、根や幹は脇役なんですよ。

ただし、どっちが大事かと言えばどっちも大事で、お互い相補的な関係なんです。
だから、どっちも大事にして、最後には枝葉を充実させてきれいな花を咲かせよう、ということなんだと思います。
そして幹も太く高くして、来年はもっとたくさんの花を咲かせよう、ということなんです。

最近、論語など中国古典に関する(優しい)本を読んでいます。
我が子がもう少し成長したら、近所の子を我が家に集めて寺子屋をやりたいと思っているのです。
その時に、漢文素読をやりたい。
しかし、ぼくは漢文の素養がまったくありませんので、今から準備しておこうという魂胆です。

それらの本の中に面白い話が書いてありました。
二宮金次郎の銅像を見たことがあると思いますが、薪を背負いながら本を読んでいます。
どんな本を読んでいると思いますか?
銅像をよく見ると、書名がちゃんと分かるそうです。
それは『大学』なんです。

『大学』に「徳は本なり、財は末なり」とあるそうです。
本は根や幹、末は枝葉という意味でしょう。
これを日本の学者は「徳は重んずべきものであり、財は軽んずべきものである」と解釈した。
学者は貧乏なので、こんな解釈をしてしまったらしい。

二宮尊徳はこれを

 徳も財も大事である。
 根や幹である徳が充実していないと枝葉である財は築けず、
  枝葉である財が充実すれば、ますます根や幹である徳も充実するものなのだ。
 どちらか一方のものは、長続きしない。

と解釈したのです。

二宮尊徳は江戸末期の財政再建請負人です。
きっと、非常に細かい人だったんでしょうねー。
幹や根も大事にしたけど、枝葉にもこだわった。
だからあれだけの成果をあげられたんでしょうね。


二宮金次郎の話は、石井勲『漢字興国論』日本教文社\1600-にありました。

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