2008年8月30日土曜日

仕事の半分は教育

こんにちは

ぼくの元部下で、違う部署に異動した奴がいます。
今もそこで活躍しているのを知るのは、元上司として嬉しいですね。
彼にも最近、部下ができたとのこと。
彼と同じ部署にいる人から聞いた話では、彼の部下があまりできる人ではないらしく、彼は困っているそう。
思わずニンマリ。
そうでしょ、そうでしょ、部下の面倒って大変でしょ、君もかつてはそうだったんだぜ。
あはははは。

ぼくも部下を持ってみて、いろんなことが見えてきました。
自分で何もかもやっているときは、我流でやってしまっていたり、何となく出来ちゃったりしていたことがたくさんあることがわかりました。
いわゆる<暗黙知>ですね。
そういうものは、十分言語化、知識化されておらず、技術といえるところまで行っていない。
部下が仕事の途中でつまずいたり引っかかるのは、たいていそういうところです。

部下がつまずいたところをよく考察してみると、ぼく自身の仕事の仕方にあった「あいまいさ」を反省する機会になるのです。
きちんと言語化、知識化、技術化されていないので、きちんと部下に伝わらない。

だから部下は途中で躓いてしまっていたのです。
そういう部分を見直すことによって、ぼく自身がポリッシアップされるのが実感されます。
その意味で、部下に教えることによって自分が教えられているんですね。
部下がいてよかったなあ、って思います。

そんな視点で周りを見てみると、部下の扱いの上手い人はその人自身の仕事の仕方も上手かったりします。
で、仕事が下手な人は部下を持たないで年だけとっちゃったおじさんに多いのは確実です。

これは、制度的に部下がいるいないじゃないですね。
制度的に部下がいても、部下に教えよう、部下を育てようという気のない人は自分も成長しない。
たとえ制度的に部下がいなくても、誰かを育てようとしている人はその人自身も成長しているんです。

成毛眞『新世代ビジネス、知っておきたい60ぐらいの心得』(文春文庫\543-)から引用します。

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普通、会社が成長すると人が雇えるし、雇えるとはじめて自分に部下ができる。
そして人は部下に対して何かを教えることで、自分自身も学んだりする。
かりに20代の人間20人で会社を立ち上げ、40年間、その20人だけで会社を運営したとする。
そうすると、その20人は誰にも教えないと同時に、誰からも教わらないことになる。
誰かを教えもしないし、誰からも教わらない人間はおそらく成長しないだろう。
成長しない人間が運営する会社もやはり成長しないということになってしまうのだ。(36p)
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組織的、制度的に部下がいるいないだけじゃなくて、自分から勝手に誰かの部下になった気になって教えてもらったり、勝手に誰かを部下にした気になって教えたりするのもいい。
同じ人を、時には部下だと思って教えたり、時には自分が部下になって教えてもらったり、そういうのも面白いと思います。
たとえ上司であっても、教育してやる。
そうすることによって自らを鍛えていく。

ぼくは、仕事の半分は教育だと思っています。
誰かに教える、誰かに教わることによって、より成果が上がる。
教え上手、教わり上手でありたいと思っているのです。
ぼくの元部下も、自分の部下を持って困ったり悩んだりすることを通じて、より自らを鍛えていって欲しいと願っています。

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