2008年8月31日日曜日

歳を取ったら手抜きしろ

こんにちは

若い同僚(30歳ちょい越え)からこんなメールが来ました。

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そこでふと思ったのが、最近は以前のように「がむしゃらに」
動かなくなってきてしまったな、ということです。
慣れというのもあるのかも知れませんが、結構手を抜きながら
やっているところがあります。
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30歳になって、ちょっと迷いが出てきているようです。
ぼくもそうでしたが、30歳頃ってちょっと迷いがでるんですよね。
20代の頃は、ただただひたすら突っ走るように仕事をしてくる。
30歳を越える頃、ようやく仕事にも慣れ、悩むだけの余裕が出てくるんですよね。

20代の頃はがむしゃらにやって試行錯誤しながら経験を積むのは大事だけど、そのやり方を30歳になっても続けるのは感心しません。
やはり30代には30代の仕事の仕方があると思います。
それは、いい意味の「手抜き」ができるようになることだと、ぼくは思うんです。
仕事にプライオリティを自分で付けられるということだね。

手を抜くというのは、必ずしも悪いことじゃない。
手を抜けるというのは、仕事の大事なスキルだと思います。
手を抜くという言葉が悪いなら、優先順位の低い、時間とコストをかける意義が低い仕事は、省力化するってことです。

日々、自分の仕事を反省する。
反省ってゴメンナサイと謝ることじゃありません。
「省」の字は、<省く>という意味でもある。
反省して、どこかに無駄はないか、省くことができることができないか、考え実践する。
つまり反省とは、手を抜くことなんです。

ただし、どこを手を抜くかは重要です。
いかに全体の品質を落とさずに、省力化ができるか。
手の抜き所が分かってないといけません。

手の抜き所が分かるためには、試行錯誤が必要です。
若いときがむしゃらにやる時期が必要です。
でも30代になったら、ただがむしゃらにやるだけじゃいけない。
がむしゃらにやって、失敗したり成功したりして、それを日々反省して勘所を磨く。
自分の仕事を磨き上げる、つまり削り落とすことなんですよね。

がむしゃらにやる時期は別に若くなくてもいいんですが、ある程度年齢が行ってしまうと、ちょっとかっこ悪い。
おっさんになってまでがむしゃらだったら、ちと恥ずかしいです。
40歳過ぎても残業が多い人は、やっぱり反省が足りず、仕事の能力が劣っているんです。
もちろん残業が必要な時期もあって、40歳過ぎた人でもがむしゃらにやる時もありますよ。
でもそれは短期簡に限ります。
常に毎月のように残業が多いおっさんは、能がないと思います。

それに40歳をすぎたら体力もなくなって、そうそうがむしゃらにはできなくなってくるのです。
がむしゃらだけで40歳まで来てしまった人は、この頃に病気になってしまったりするんです。
男の厄年が42歳である一つの理由は、こんなところにもありそうです。

だから、20代はがむしゃら、30代はがむしゃらだけど反省も欠かさない、そして40代になったら手を抜けるようになるのが理想です。

梅森浩一『残業しない技術』扶桑社\1000-にこんなことが書いてありました。

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私の大好きな言葉に、「怠け者は二度働く」というネイティブアメリカンの格言があります。
肝心なところで手抜きをしてしまったがために、結局「元も子もなくしてしまった」「最初からやり直しをしなければならなくなった」というたとえです。
自分の怠け心を戒める言葉として座右の銘にしています。
上司の目線や評価軸にもとづいた、いわば確信犯的な手抜きではなく、自分に甘いだけといった場当たり的な手抜きでは、結局そのツケが最後には自分自身へとまわって きてしまいます。(18p)
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怠け者ほど返って仕事時間が長くなってしまう。
怠け者は手の抜き所が分からないから、とんでもないところを手を抜いてしまいます。
それでは仕事の質を担保することができず、やり直しせざるを得なくなります。
考えが足りないのです。

あるいは、怠け者はちっとも考えない、段取りをしないで仕事を始めてしまいます。
するとどこも手を抜かずに仕事をしなければならないから、やたら時間がかかるわけです。
やり直しするにしても、どこも手を抜かずにやるにしても、時間がかかります。
残業が多くなるのは当然です。

だから、手を抜くのも「確信犯」でなくちゃいけないんです。
そして、手を抜いてできた余裕で、新たなことにチャレンジすることができます。
仕事でもいいし、プライベートでもいい。
はっぴーなおじさんになれるというわけです。

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