2008年8月30日土曜日

錯覚も実力のうち

こんにちは。

いきなり野口悠紀雄『超発想法』講談社文庫\560-から引用します。

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創造的活動を行うのに、高い知的能力が必要とされるのだろうか?
これに関して、つぎのような話がある。
ある出版社の社長が、創造性がない社員がいることを心配して、心理学者に調査を依頼した。
一年間社員を綿密に調査した結果、創造性のある人々とない人々との間には、たった一つの差異しかないことが発見された。
それは、「創造的な人々は自分が創造的だと思っており、創造的でない人々は自分が創造的でないと思っている」ということだった。
このエピソードは、きわめて示唆的である。
「創造性がない」とは、単に、「自分は創造性がないと思いこんでいること」なのだ。
あるいは、「自分は創造的だと思えば、創造的な活動ができるのだ」とも言える。
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ぼくは前から、子どもが勉強できるとかできないとかいうことは「錯覚」であると考えています。
頭の善し悪しで勉強ができたりできなかったるするのではないと思います。
特に小学生や中学生はそうであると、経験上思います。
自分が勉強できると「錯覚」している子が勉強できるようになり、自分は勉強できないんだと「錯覚」している子は勉強ができるようにならない。
だから、子どもに学力を付けるコツは<自分は勉強ができるんだ、頭がいいんだ>と錯覚させてやることなんだ、と考えています。

たとえば百マス計算で速く計算できるようになった子は「自分は算数が得意なんだ」と錯覚するようになります。
単純な四則計算に習熟しただけなんですが。
でも劇的に変わります。
算数が得意だと錯覚しているから、難しい思考力を必要とする鶴亀算などの問題にもチャレンジするんですね。
錯覚していない子は、最初から自分には解けないものだと思いこんでチャレンジしないんです。
で、錯覚している子は本当に解いてしまったりします。
錯覚していると、あきらめないんです。
自分は算数が得意なんだから絶対に解けるはずだ、という思いこみがあるのです。

こういうプライドは大事ですよね。
東大の先生である上野千鶴子さんは著書の中でこんなことを言っています。

 東大生は自分がアタマがいいと錯覚しているから、できるようになる

笑っちゃうけど事実ですね。

だから子どもを「バカだ」と言って育てちゃダメなんですよ。
ホントにバカに育っちゃいます。
ほめるネタを探して、あるいはうまくできるようにさせて、ほめてやる。
そうやって育てると、自分はデキル人間だ、と錯覚するようになる。
錯覚しちゃうと、徐々にデキル人間になっていくんです。

大人だって同じだと思います。
仕事ができると自分で錯覚している人の方が、ホントに仕事ができるんですよ。

ただし、常に結果や現実をフィードバックできなくちゃいけません。
そうじゃないと、錯覚だけの困ったオヤジになってしまいます。
現実に根を下ろして、かつ錯覚して難しい仕事にもチャレンジする。
それが楽しい仕事だって思っています。

先週末は、SPring8内に造っているX線自由電子レーザー専用の特別高圧変圧器の接続作業をしてきました。
既設を停電させての作業ですから、時間的にタイトな仕事でした。
スタッフのみなさんの努力で、無事完了させることができましたよー。
まー、最初からうまく行くと思ってたけどね。
って、ぼくもかなり錯覚してるかもしれませんぞー!
あはははは。

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