こんにちは
一緒に仕事をしている人で、やたら謙る人っていますよね。
何を言うのでも「若輩者ですが」「経験が浅いもので」「不勉強でして」とマクラに付ける。
つきあい始めて日が浅いときならいいのですが、もう何度も打ち合わせで顔を見ているのに、その度にそんなことを言うから、ちょっと鬱陶しい。
もうお前の実力は分かっているんだ、若輩者で経験も浅い割に不勉強なのも知っている、だからいちいち言うな!
と、心の中で毒づきます。
そもそも謙遜というのは、実力のない者、特に若者は使っちゃいかんのですよ。
若者は未熟だというのは見れば分かりますから、わざわざ言わなくてもいい。
実力のない者がわざわざ謙ってみせることはありません。
本当に実力がある者が、ちょっと謙るのがかっこいいんです。
実力のある人が謙ると、反って自分をアピールするんですね。もっと実力があるように見えるわけです。
そういう戦略にも長けた人だけが、謙ってもいいんだと思います。
上原春男『成長するものだけが生き残る』サンマーク出版\1700-から引用します。
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土光(敏夫)氏と話すとき、私はいつも、「私のような若い者が言うのはおこがましいのですが」という前置きを口癖のように言っていました。
するとあるとき、土光氏は私にこうおっしゃいました。
「先生はいつも『私のような若い者が』と言われるが、先生はいくつですか」
私が35か6歳くらいのときでしたから、その旨答えると、土光氏は再度、「35歳は若いのですか」とたずねられるのです。
私は冗談半分に、「若いと思います、土光さんに比べれば・・・」と答えました。
すると土光氏は、にわかに鋭い目をして、
「先生、それは間違っている。
人間は30歳過ぎたら一人前です。
30歳過ぎて若いなんて言ったらいかん。
そう言うということは、わずかながらでも、
責任逃れをしたいという気持ちの表れです」
となかば怒りながら、私をいさめられたのです。
そして、「いつもあなたは若いから、若いからと言うが、ここで一度、立場の違いや年齢差を忘れ、自分の言いたいことを遠慮なく、言いたいだけ言ってみなさい」と促されました。(67-68p)
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脳科学者の久保田競さんによると「21歳から35歳は、専門家脳を鍛える時期」なのだそうです。
20歳までに広く教養を学び、自分の適性を見つけ、自分の進む方向を定める。
そして21歳からはその方向へと、プロフェッショナルになるべく勉強を始めるわけです。
21歳から35歳までは肉体的にもタフな時期なので、徹夜仕事など無理も利く。
失敗してもある程度許される年代でもあるので、果敢なチャレンジもできます。
この時期に、楽しちゃいけません。
自分の限界ギリギリまでやらないと、自分の限界がわかりませんからね。
それにギリギリまでやるから、限界も伸びて、自分のキャパシティも大きくなる。
そうやって専門性を高めていけば、35歳を過ぎる頃には自他共に認める「専門家」になれるんだそうです。
土光さんの「30歳過ぎたら一人前」というのは、30歳にもなったら一人前になっていなくちゃいけない、という意味なんでしょうね。
もちろんTPOに合わせて謙るときも必要でしょうが、専門家同士対等に議論できなくちゃいけない。
そうでない奴はオレの前に来るな!と、土光さんは言っているのかもしれません。
土光さんって柔和なお顔をしていた記憶がありますが、とても厳しい方だったのが分かります。
ぼくは技術者としては遅れて出発しました。
30歳過ぎて転向しましたから、だいたい10年遅れですね。
そこから計算すると、ようやく大卒で35歳になった技術者と肩を並べられる年数になりました。
この間、先輩、上司にも恵まれて、鍛えられて、どうにか「専門家」と呼んでもらえるようになったかなーと、自負しています。
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