2008年9月6日土曜日

若者よ、謙遜なんかするんじゃない

こんにちは

論語にこんな一節があるそうです。

 冉求(ぜんきゅう)いわく、
  子の道を説(よろこ)ばざるにあらず、
  力足らざればなりと。

 子いわく、力足らざる者は中道にて廃す、
 今女(なんじ)は画(かぎ)れりと。

どういう意味かというと、

 冉求
 「私は、先生のお教えになることに強いあこがれを持っています。
  ただ、私の力の足りないのが残念でなりません。」

 孔子
 「おまえは、自分で自分の欠点を並べ立てて、自分の気休めにするつもり
  なのか。
  そんなことをする隙があったら、なぜもっと苦しんでみないのじゃ。
  お前は、本来自分にその力がないということを弁解がましくいっているが、

  ほんとうに力があるかないかは、努力してみた上でなければ
  わかるものではない。
  力のない者は途中でたおれる。
  たおれてはじめて力の足りなかったことが証明されるのじゃ。
  たおれもしないうちから、自分の力の足りないことを予定するのは、
  天に対する冒涜じゃ。
  なにが悪だといっても、まだ試してもみない自分の力を
  否定するほどの悪はない。
  それは生命そのものの否定を意味するからじゃ。
  しかし・・・お前は、まだ心からおまえ自身の力を否定しているのではない。

  おまえはそんなことをいってわしに弁解をするとともに、
  お前自身に弁解しているのじゃ。
  それがいけない。それがお前の一番の欠点じゃ。」
              下村湖人『論語物語』講談社学術文庫

孔子先生、います、いますよー、現代にも。
謙遜するフリして努力を放棄しているヤツ。

さすが、孔子様は弟子に厳しいですね。
努力もしないうちから「力が足りない」なんて言ってはいけない。
それは自分自身に弁解していることなんだ。
自分に弁解することによって努力することを避けているんだ。
とにかくやってみろ。苦しんでみろって。

謙遜って、ホントに実力がある人じゃなくっちゃ意味がないんですよね。
実力があるのにそれを誇示せずにサラリと謙ってみせるから、カッコイイ。
そこを間違えちゃいけない。
実力がない者は変に謙遜しなくたって、見りゃわかるって実力がないの。
わざわざ自分で言う必要はない。

自分で言っちゃうのは、人から言われる前に自分で言っちゃった方が恥かかなくて済むと思うからなんですよね。
ぼくも若いときはそうでした。
でもそれが努力を放棄する言い訳になっちゃって、成長を阻害することも多いと思うのです。
だから、特に若いときは謙遜なんかしない方がいい。
自分の非力をかみしめて、一歩ずつ努力を積み重ねていく。

ぼくもまだまだ若いつもり。
謙遜なんかしませんぜ!

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