こんにちは
亭主が「今日は日曜日だからパチンコでも行ってくるか」と言ったとしましょう。
女房はそれにどう答えるか。
「たまの休みの日、気晴らしもいいでしょ。どうぞ行ってらっしゃい」でしょうか。
それとも「何バカなこと言ってんのよ!たまには庭掃除くらいやったらどう!」でしょうか。
同じ日曜日にパチンコに行くのに対して、女房から正反対の反応が返ってきてしまうのはなぜ?
たぶん、「行ってらっしゃい」と言われる亭主は、普段から仕事に精を出してまじめに働いている。
「何バカなこと言ってんのよ!」と言われる亭主は、ろくな仕事もしないのに、日曜に限らずパチンコ狂いなのかもしれません。
簡単にいえば、自由とは、「好きなことを」「好きなときに」できるということです。
でもそれができる人とできない人がいる。
それは、その前段が違うからです。
普段からまじめに働き、家族に貢献しているご主人なら、日曜日にパチンコに行くくらい笑顔で送り出してくれる。
普段からパチンコ狂いの亭主だと、日曜日だからって一日中パチンコ屋に入り浸ろうなんて言語道断!
つまり、普段から義務や責任を果たしている人にだけ、好きなことを好きなときにやれる権利、自由が与えられるんですね。
アニマル浜口/横峯良郎『俺たちの教育論』致知出版社\1143-で、プロゴルファー横峰さくらさんのお父さん良郎さんはこう言っています。
アニマル浜口/横峯良郎『俺たちの教育論』致知出版社\1143-で、プロゴルファー横峰さくらさんのお父さん良郎さんはこう言っています。
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極端なことを言うと、僕は子どもに自由なんかないと思っています。
自由の裏側には責任がなければならないわけで、自分のことも社会のことも、まだ十分には分かっていない子どもに、重い責任を背負わせるわけにはいきませんよ。(15p)
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極端なことを言うと、僕は子どもに自由なんかないと思っています。
自由の裏側には責任がなければならないわけで、自分のことも社会のことも、まだ十分には分かっていない子どもに、重い責任を背負わせるわけにはいきませんよ。(15p)
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自由の裏には必ず責任が伴う。
まだ責任を果たせない、重い責任を負わすことができない子どもには、本当の自由なんてないのが当たり前だ、ということです。
まったく同感です。
もちろん子どもにも権利があります。
その権利は誰にも侵すことができません。
でもその権利は、子どもがきちんと成長するために必要なだけの権利なんだと思うのです。
ちゃんとした大人になるため、社会人になるためだけに限定して認められた権利。
それを所与のものとして、天から与えられた自由と履き違えてはいけない。
期間限定なんですから、子どもが大人になったときにはその権利は失効します。
だから子どもは大人になったとたんに、不自由を感じるのだと思います。
やりたいことなんて、ちっともできないんですから。
でもそれは当然。
大人になったとはいえ大人になったばかりでは、まだ社会に対して義務、責任を果たしていないからです。
義務、責任を果たして行くにつれ、貢献していくにつれ、徐々に自分の権利を行使できるようになり、少しずつ自由度が増えていく。
会社だってそうです。
サラリーマンが自分のやりたい仕事、面白い仕事ができるかどうか。
それはその仕事が社会から歓迎され、また会社に利益をもたらすか、です。
そういう実績をこれまで積み上げてきたか、です。
それによって、やりたい仕事、面白い仕事ができるできないが決まるんだと思います。
だから、「大人になるとは自由を獲得していく過程である」とぼくは思っています。
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