2008年9月26日金曜日

抜き書きは楽しい

こんにちは

ぼくはこうしてほぼ毎日のようにゴミメールを書いています。
その時々思ったこと、考えたことにからめて、本からも引用したりします。
まー、引用することが好きなんですよ。

本を読みながら面白かったこと、心にのこるようなことの書いてあるところに線を引いたり、ページの角を折ります。
読み終わったら、その部分を抜き書きします。
昔はノートや手帳に手書きで抜き書きしていましたが、今はパソコンに打ち込んでしまいます。

抜き書きはだいたい職場で昼休みにしています。
なかなか有意義な昼休みの使い方でしょ。
で、抜き書きが終わった本は同僚や仕事仲間にプレゼントしちゃいます。

抜き書きをする習慣は、ぼくの尊敬する小学校教師だった岸本裕史さんの真似なんです。
岸本さんの授業には、視写(教科書を見ながら書き写すこと)や聴写(先生が読む声を聴いて書き写すこと)が重要なものとなっています。
ぼくも教員時代によく試写や聴写の授業しました。
国語の授業ではもちろん、理科や社会科でもよくやりましたね。
単純な作業ながら子どもの集中力を育てるにはよい方法だと思っています。
 
そして意外とこれが頭に入るんですよ。
ただ書き写すだけで、その内容を記憶したり理解したりできる。
岸本さん自身、若い頃新聞の抜き書きをたくさんやったそうです。
そのおかげで、達意の文章を書けるようになったし、社会を見る目ができたとおっしゃっていました。

お寺では写経ということをやったりしますよね。お経をただ書き写すという修業。
写経も同じ原理なのかなと思います。
書き写すことによって、仏教思想の真髄に近づくことができるのではないでしょうか。

福田和也『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』PHP文庫\514-を読みました。
ここにも抜き書きの効用が書いてありました。

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抜き書きは、書き手の考えを理解する上で、とても役に立ちます。
もちろん、ただ写すのではなく、書き手になったつもりで、大袈裟に云えば憑依をして、書いていかなければなりません。
楽器を習ったことがある方はお分かりになると思いますが、ギターなどを練習する上で、好きなミュージッシャンののフレージングなり、手癖なりを真似た、つまりはコピーした体験があると思います。
そういう形でギターを真似ると、ただその曲を弾けるようになるだけではなく、元の演奏者の和音に対する解釈とか、分解の仕方が納得できるような気持ちになったことがあると思います。
文章もまったく同じです。(64-65p)
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ナルホド、書き手の考えを理解するために書き写すわけですね。
ギターのコピーの喩えはぼくの心にストンと落ちましたね。
なんたって、ぼくは元ロックンローラーですから。
確かに、コピーするとそのミュージシャンの心に近づけたような気になります。

コピーは技術だけのコピーじゃないんだって思いました。
その思想まで自分の中に取り込むことができるんだって。
抜き書きは楽しいですよ!

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