こんにちは
こういう思考実験をしてみましょう。
ある先生が子どもに漢字を覚えさせるために漢字テストをやってみました。
あらかじめ20文字の漢字を指定し、授業や家庭学習で十分練習させた。
テストをやってみたら、最低点の子は60点、12文字の正解だった。
どの子にも100点を取らせたいと思った先生は、今やったテストの結果から「問題数を10問にすれば全員が100点になるだろう」と予想しました。
だって20問のテストで最低点の子どもでも12問正解できたからです。
10問だけのテストなら、最低点しか取れなかった子どもも満点を取れるはずだと。
ところが実際に10問のテストを実施してみたら、全員が100点ということにはなりませんでした。
やっぱり最低点は60点、6問の正解でしかなかったのです。
それではと、極端に問題数を減らし、1問だけのテストにしてみました。
1問だけならどんな子でもしっかり覚えて来て100点取れるに違いないと。
1問だけのテストを何回か実施してみました。
すると全員が100点の日もあるけど、やはり間違える子どももいる。
つまり0点ですね。
テストを何回か繰り返してみて、最低点を取る子の点数を集計してみました。
10回のテストのうち、正解したのは6回、間違ったのは4回だったのです。
やっぱり60点くらいになっていたのです。
これはただの思考実験ではありません。
筑摩書房のPR誌『ちくま』03.09号の重松清さんと新井紀子(国立情報学研究所)さんとの対談「「わからない」からこそ、「わかる」が深くなる」から引用します。
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重松 新指導要領の発想では、考える過程を丁寧に見ていくことで点数を加算していくのではなく、教える内容を簡単にすることで0点をなくそうとしていますね。
新井 変な話なんですが、数学のレベルを下げても、やっぱりできない子の人数はあまり変わらないんです。
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問題を易しくすれば、問題数を減らせば、どんな子どもでも100点を取れると思うかもしれません。
でも現実は違うんですね。
易しくしても、課題を減らしても、できない子どもの人数はそう変わらないんです。
これを工業的には「歩留まり」といいます。
全生産品のうち、良品の割合を歩留まりというのです。
何かを生産するときに、必ず一定割合の不良品が出てしまいます。
不良品は少ないほどよいのですが、努力して工夫して不良品を減らしていっても、ある割合からはなかなか減らないものなのです。
それ以上歩留まりをよくするためには、相当の労力とコストがかかってしまうようになります。
ですから工業では、歩留まりを上げる努力と工夫は常にしているのですが、ある程度の不良品は許容しているのです。
コストパフォーマンスが最大になるように、不良品が出ることを織り込んで生産計画を立てるのです。
不良品は検査の段階で排除すればいいのです。
それが最も効率的で経済的だからです。
こういう思考実験をしてみましょう。
ある先生が子どもに漢字を覚えさせるために漢字テストをやってみました。
あらかじめ20文字の漢字を指定し、授業や家庭学習で十分練習させた。
テストをやってみたら、最低点の子は60点、12文字の正解だった。
どの子にも100点を取らせたいと思った先生は、今やったテストの結果から「問題数を10問にすれば全員が100点になるだろう」と予想しました。
だって20問のテストで最低点の子どもでも12問正解できたからです。
10問だけのテストなら、最低点しか取れなかった子どもも満点を取れるはずだと。
ところが実際に10問のテストを実施してみたら、全員が100点ということにはなりませんでした。
やっぱり最低点は60点、6問の正解でしかなかったのです。
それではと、極端に問題数を減らし、1問だけのテストにしてみました。
1問だけならどんな子でもしっかり覚えて来て100点取れるに違いないと。
1問だけのテストを何回か実施してみました。
すると全員が100点の日もあるけど、やはり間違える子どももいる。
つまり0点ですね。
テストを何回か繰り返してみて、最低点を取る子の点数を集計してみました。
10回のテストのうち、正解したのは6回、間違ったのは4回だったのです。
やっぱり60点くらいになっていたのです。
これはただの思考実験ではありません。
筑摩書房のPR誌『ちくま』03.09号の重松清さんと新井紀子(国立情報学研究所)さんとの対談「「わからない」からこそ、「わかる」が深くなる」から引用します。
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重松 新指導要領の発想では、考える過程を丁寧に見ていくことで点数を加算していくのではなく、教える内容を簡単にすることで0点をなくそうとしていますね。
新井 変な話なんですが、数学のレベルを下げても、やっぱりできない子の人数はあまり変わらないんです。
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問題を易しくすれば、問題数を減らせば、どんな子どもでも100点を取れると思うかもしれません。
でも現実は違うんですね。
易しくしても、課題を減らしても、できない子どもの人数はそう変わらないんです。
これを工業的には「歩留まり」といいます。
全生産品のうち、良品の割合を歩留まりというのです。
何かを生産するときに、必ず一定割合の不良品が出てしまいます。
不良品は少ないほどよいのですが、努力して工夫して不良品を減らしていっても、ある割合からはなかなか減らないものなのです。
それ以上歩留まりをよくするためには、相当の労力とコストがかかってしまうようになります。
ですから工業では、歩留まりを上げる努力と工夫は常にしているのですが、ある程度の不良品は許容しているのです。
コストパフォーマンスが最大になるように、不良品が出ることを織り込んで生産計画を立てるのです。
不良品は検査の段階で排除すればいいのです。
それが最も効率的で経済的だからです。
もちろん子どもは工業製品ではありません。
工業製品の不良品のように子どもを考えるのは間違いだと、ぼくも思います。
が、教育にも「歩留まり」という概念は必要だとぼくは思っています。
人間というのは、易しければ、課題が少なければ、誰もが100点を取れるようにはできていないのです。
歩留まりを見込んだ教育が必要なんだと思うのです。
さて同じ60点でも、20問のテストでの60点と10問のテストでの60点では価値が違います。
20問のテストの時は12文字覚えられたのに対し、10問のテストの時は6文字しか覚えられていないからです。
当然ながら12文字覚えた方が価値があります。
つまりテストをプランニングするときも、歩留まりを考慮して、子どもにとってより価値を生み出すためにはどう難易度と課題数を設定するのがよいか、その最適解を求めた方がいい。
安易に100点をとらせようとして、返って子どもに価値を与えない教育になっていないかどうか、吟味が必要だと思います。
社会人も同じです。
能力の不足している人に限って、完璧に仕事をしようとします。
しばしば目標値を下げてまで完璧を狙う。
これは失敗します。
歩留まりを見込んでいないからです。
結局、低い目標も達成できなく、不完全で中途半端な仕事しかできないのです。
実は、完璧は怠惰の隠れ蓑なんですよ。
完璧にやろうと思う人は、努力を放棄して今ある自分のレベルに仕事を合わせてしまう。
今の自分でもできるだろうなという甘い目標にするから、返って気が緩んでしまうんです。
不完全な仕事で、お客さんからもクレームをもらっちゃうことに。
それより、要求されているよりちょっと目標を高く設定する方がいい。
完璧にはできないかもしれません。
でも60点の出来でも、お客さんは満足してくれる。
なぜなら、歩留まりを見込んでも要求水準までは達することができるからなんです。
おまけに努力もするから、自分の腕も上がる。
双方ハッピーじゃないですか!
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