2008年9月28日日曜日

嫌な仕事、誰がやる?

こんにちは

時々、やったことのない仕事をやらなくちゃならないことがありますよね。
どの部署もやったことがない、だけど誰かがやらなくちゃならない仕事。
そういうとき、誰がやるかどうやって決めればいいでしょうか。

誰がやるべきか明確じゃない仕事は、誰もがやりたくない。
特にやったことがない仕事はリスクが大きいから、やりたくないのも当然です。
なので、うちの仕事じゃない、と押しつけ合ったりしてね。
こういうとき、声の大きい人がいる部署が勝ったりします。
気の小さい人がフロントにいる部署が押しつけられる。
怒鳴りつけた方が勝ち、言い負かされた方が負け。
でもそれが合理的な判断だとは思えません。
誰がやるべきか、どうやって判断すればいいのでしょうか。

ぼくは先ず、組織規定を見直してみます。
たいていの会社には、部署ごとの仕事の割り振りが明文化されているはずです。
ルーチンの仕事ばかりしている限り、そんな規定を読む必要はありません。
でも、めったにない仕事の場合、規定を見直してみると役に立ちます。
意外や意外、ちゃんと書かれていたりします。
初めての仕事だと思っていたら、過去にも同様な仕事があったってことです。
ここしばらくなかったので、忘れられていただけだったりして。
はっきり書いていなくても、規定を読み直してみるとヒントが得られたりするんです。

それでも明確にならない場合、どうするか。
その仕事と同様な仕事が再びやって来た場合、経験が生きるためにはどの部署がやっておく方がいいか、で判断するといいです。
今問題となっている仕事に関わる部署と、将来同様な仕事が発生した場合それに関わる部署を想定し、どちらにも含まれるであろう部署。
同様な仕事を何度もする可能性があるなら、今その部署でやっておいた方が経験が蓄積しますから、後々楽になります。

それでも誰がやるべきかわからない場合、どうすればいいでしょうか。
そういう時は、「じゃあ、ぼくがやってみましょうか」と言うようにしています。
それで、こっちじゃない、あっちだとか、不毛な押し付け合い会議を終えることができます。
何よりぼくの中に、誰もやったことのない初めての仕事をやる、という経験が蓄積されます。
おまけに、その他のつまらないルーチンワークを免除してもらえる可能性も高まる。
一石二鳥ですねー。

林望『新個人主義のすすめ』集英社新書\700-から引用します。

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なにがなんでも、俺は自分の興味あることしかやらない、そういうのは単なる偏狭というものなので、個人主義、言い換えると非人情というのとは違います。
もっと大きな目標というものを、いつも見ていることがなくてはなりません。
遠くに目標となる高峰を仰ぎ見ながら、そこへ登るには、この坂道も上がらなくちゃいけないんだな、とそう思えば、イヤな仕事でもやるべきことは沢山あります。
高い峰に登るには、どうしても険しい道を通らなくては行かれません。
安易な道のみを歩こうと思ったら、せいぜいそこらの小山にしか登れない。
それが人生の実相なのです。
それどころか、チャンスというのは、たいていイヤな仕事という顔をしてやってくるものなのです。(113p)
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いやな仕事ほど、チャンスなのかもしれませんね!

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